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日本語では、一人称を選ぶことがキャラクター造形そのものになる

英語では、物静かな治療師でも荒っぽい傭兵でも、自分のことを I と呼びます。この語自体は話者について何の情報も運びません。日本語で対応する選択は、まったく中立ではありません。わたし、ぼく、おれ、わたくし、うち、その他いくつも ― どれも I の妥当な訳であり、そのどれを選ぶかによって、文が終わる前から話者について何かが読者に伝わってしまいます。

英語話者が想定していない語彙の広がり

これは特殊な例外ではなく、日本語学でごく標準的に扱われる領域です。網羅ではありませんが、代表的なものを挙げます。

  • わたし(私)― 幅広く使える中立的な既定値。文脈によりやや丁寧、または性別を問わない〜やや女性的な響きを持つ
  • わたくし(私)― 同じ字を、より改まって読んだもの。非常に丁寧な場面や儀礼的な場面で使われる
  • ぼく(僕)― 伝統的に少年や若い男性に結びつき、控えめで柔らかい自己呈示と結びつく
  • おれ(俺)― ぶっきらぼうで男性的、くだけた響き。自信や粗野さを示す男性キャラクターによく使われる
  • うち ― くだけた、地域色のある言い方。特定の方言や、若さ・女性らしさと結びついた話し方に多く見られる
  • あたし ― わたしを柔らかくくだけさせた形で、カジュアルな女性的話し方と結びつく

その選択が何を伝えるか

英語の I が中立である以上、この選択は原文からは何一つ決まりません。翻訳者は、キャラクターの年齢、性別の表現、性格、社会的な立場から一人称を推測することになります ― これはボイスシートがトーンのために本来押さえておくべき情報とまったく同じです。無骨な兵士と博識な貴族がまったく同じ英語のセリフを言っていても、日本語では通常、同じ一人称は使いません。一人称は互換可能な文法上の空欄ではなく、それぞれのキャラクター造形の一部だからです。

だからこそ一人称の選択は、狭い意味での翻訳よりもキャラクター造形として理解した方が正確です。同じ英語のセリフを、一人称だけが違う二つの等しく正確な日本語訳にすると、日本語の読者にはまったく違う二人の人物として映ることがあります。

なぜ一貫性こそが最初に崩れるのか

一度決めた一人称は、実質的に固定されているべきです。実際の人間が理由もなく文ごとに自分の呼び方を変えないのと同じです。あるシーンで「おれ」と言い、別のシーンで「ぼく」と言うキャラクターは、それを説明する物語上の要素が何もなければ、日本語を読めるプレイヤーには機微ではなく誤りとして映ります。しかもその発見は、ほぼどんな不整合よりも早く起こりがちです。一人称はそのキャラクターのセリフの多くに登場するからです。

もちろん一人称が変わる正当な理由もあります ― キャラクターの成長、意図的な自己呈示の変化、強がりが崩れる弱さの瞬間など。ただしそれらは稀で意図的な選択であるべきで、別々の翻訳者が別々の行を担当した結果として偶然生まれるべきものではありません。

何がチェック可能で、何に人の目が要るか

キャラクターの一人称がセリフ全体を通して安定しているかどうかは、機械的にチェックできます。キャラクターへの一人称の割り当てが固定されていれば、文書化されていない別の一人称がどこかに現れていないかを走査するのは、判断ではなくパターン照合です。

一方で、そもそも割り当てられた一人称がそのキャラクターにふさわしいものかどうかは別の問題であり、そのキャラクターと、日本語のネイティブ読者にその一人称がどう響くかの両方を理解している人の目が必要です。ゲーム全体を通して技術的には一貫していても、そのキャラクターが本来体現すべき人物像とはずれた一人称になっていることはあり得ます。一貫性は必要条件であって、十分条件ではありません。

早めに決める ― このシリーズの他の記事と同じ結論

実務上の対策は、用語集やボイスシートと同じパターンです。まとめて翻訳を始める前にキャラクターごとの一人称を決め、そのキャラクターの他のボイス特性と一緒に文書に残し、そこからの逸脱は翻訳者が一行ごとに静かに解決するものではなく、レビューの対象として扱うことです。

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